読書メモ《千葉眞『デモクラシー』(岩波書店 2000年)》byあき

 

目次

【Ⅰ 二つの民主主義 】

第1章 古代ギリシャ型民主主義

⑴政治的なるものとデーモス

 ・政治的なるもの概念と「ポリス的人間」

⑵民主主義の政治的メリット

⑶言説的公共空間としてのポリス

第2章 近代西欧型民主主義

⑴主権的国民国家とナショナルなもの

⑵近代市民革命と自由主義

⑶主権国家システム、デモクラシー、政治経済体制

 

【Ⅱ デモクラシーの徹底化に向けて】

Ⅲ基本文献案内

あとがき

 

 本書ではまず初めに、古代ギリシャにおける民主主義(直接民主主義、参加民主主義)と近代民主主義(間接民主主義、代議制)という2つの民主主義体制にいて書かれており、次に、ラディカルデモクラシーの視座から、デモクラシーを徹底化するためのヒントとなる「リベルテ・モラル(自由精神)」や日本の近代民主主義の歴史や伝統について、書かれている。

 

 本書において、「デモクラシー」と「民主主義」は使い分けられており(曖昧な部分もあるが)、概して民主主義の実際の状況や制度に関わる場合には「民主主義」「民主政」を使用し、理念や原理に関するものはデモクシーという言葉を使用している。

 

【 Ⅰ 二つの民主主義について 】

 古代ギリシャの民主主義と近代民主主義には大きな違いがある。古代ギリシャの民主制は数万人といった単位で構成されたポリスにおける、直接民主主義の色合いが強かった。近代民主主義においては、自由主義思想(立憲主義)のもと、間接民主制の色合いが強い。著書の中ではまず初めに、この2つの民主主義について書かれている。

 一章  古代ギリシャ型民主主義

 著者が古代ギリシャについて「不当に美談化したり神話化することは目的ではない」と語っているように、古代ギリシャにおけるポリスに参加する市民(人口割合でいうと15-20%ほどの18歳以上の男子)の生活的余裕は、基本的に、奴隷階級や女性の労働に依存していたからこそ成り立っていた部分がある。しかしながら、現在でも、民主主義に関する強いインスピレーションとして古代のギリシャの民主政参照されている。

 古代ギリシャにおける、民主政のありかたは「デーモクラティア(民主政」」という言葉が言い表すように、「民衆(デーモス)」「権力(クラティア)」である(P7)。要するに民衆による支配、自己統治ということが古代ギリシャの政治体制であった。デーモス(民衆)とは、民衆全体の意味として使われていたが、素朴な民衆(貧窮者を含む)、民会(エクレーシア)の正当な構成員などの意味としてもつかわれた。そしてその市民が、ポリスに関わる公的事柄に関する討議と決定に参与するうえでの政治的自由、平等は確保されていた。「等しきものにも、等しからざるものにも一種の平等を分かちあえる国制」(プラトン『国家』)という言葉が示すように、古代ギリシャはイソノミア(政治的平等)、イセーゴリア(平等な発言権)によって運営されていた。これらはフェシス(自然)の領域としての理解ではなく、あくまでノモス(人為的、法的)ものとして認識されていた。したがって、ポリスの内部では争いや暴力ではない形の政治が探求される一方、城壁の外にでれば暴力が際限なく広がっている世界がひろがっていた。

 アテナイの民主主義政治のポジティブな見解は、先ほど述べた通りだが、衆愚政治に陥ってしまうのではないかといった、民主政への懸念は当時から存在した。そして、トゥキュディデスによれば、実際古代ギリシャにおいても、ペリクレス以降の指導者は、民衆に気に入られようと媚びを売る言動が目立ち、数多くの過失がくりかえされることとなった(トゥキュディデス『戦史』) 。デマゴーグにや一部の専断的な指導者に対する歯止めの制度としては、陶片追放オストラシズム)、民会への違法提案告訴(グラフェー・パラノーモン)など、制度的装置も存在した。

 デーモス(民衆)の政治的判断の可能性として語られるのは「綜合議論」と呼ばれるものである。これは、民会に参加する、一人一人をみれば、卓越した人間ではないにしろ、貴族による少数支配の判断よりも、一般民衆の綜合的な知恵や判断(民主政)の方が適切であることが多いという主張である。またアリストテレスは「綜合議論」が成り立つための条件として、「共同に考え、共同に疑い、共同的に探求する」(アリストテレス『政治学』)というポリス的な人間(政治的動物)であること、そして広場(アゴラ)に集まり日頃からデーモス(民衆)による自由かつ非公式な交わりがあることを、を前提としていた。アテナイのデーモスにとって政治は自由と平等を集合的実存として追求する一つの生の様式という一面も有していたともいえる。

 

第2章 近代西欧型民主主義

 

 近代民主主義は古代ギリシャ型の民主主義と違い、直接民主主義ではなく間接民主主義を志向する。近代ヨーロッパにおけるに近代民主主義の創出は、近代市民革命の前後、イングランド革命、アメリカ独立革命フランス革命に遡る。古代ギリシャの民主主義がアテナイ・ポリスの自由な市民の共同体(デーモス)が中心であったのに対して、近代ヨーロッパの民主主義は中世的な「コルプス・クリスティアヌス(キリスト教有機社会)」の解体の中で、伝統的な文化が存続しなくなった歴史的状況から生じている。

 近代国家はどれも、血縁や先祖などの自然的絆および言語文化などの人為的絆を強調したとしても「想像の共同体」(B.ベネディクトアンダーソン)でしかなかった。そこでは、伝統社会の束縛から解放された、近代的人間が自由かつ平等な諸個人として人為的な「国家」の形成にかかわっていたのである。

 本書では主に近代民主主義の特徴として三つ挙げられている。

 一つ目に、広大な領土のなかで主権的国民国家の形成を成し遂げる過程で近代民主主義が出来上がってきたという歴史的経緯から、おのずとデモクラシーの思想と制度が「国民主権」や「国民」の枠組のなかで語られているということがあげられる、ナショナル・デモクラシ(国民主権的/国家主義的民主主義)であった。

 

 2つ目に近代西欧型民主主義は、古代ギリシャのポリスより広大な土地の統治するため、種々の統治上の仕組みを創出していかざる得ない必然性をおびることになった。それらは、法の支配(立憲主義)、三権分立政教分離、代議制、複数政党制、官僚制、選挙と投票制、国民の基本的な人権などであった。

 3つ目、近代民主主義は、貴族階級や君主と民衆との対立や、有産階級(ブルジョアジー)とプロレタリアート(労働階級)との対立なのなかで、市民革命を通し獲得されたものである。そしてその背景には自由主義の影響が強く存在した。また、しばしば、「政治的自由主義」と「経済的自由主義」のあいだには齟齬がみられた。近代民主主義は、キャピタリスト・デモクラシー(資本主義的民主主義)としての構造の根を深く有しており、19世紀ではブルジョアと市民の間には緊張と対立は一貫してみられた。自由民主主義の中で、経済発展を施されるという考え(S.Mリプセット)は、20世紀後半では、むしろ「先進産業諸国」による負の側面として言われるようになった、外側にはインペリアル・デモクラシー(帝国主義的民主主義)の危険、また内側には「民主主義の欠損」の問題を抱えるという事態に等しく立ち至っている。

⑴主権的国民国家とナショナルなもの

 

 近代民主主義国家は、主権国家ナショナルなものであるということは説明した通りである。主権とは、長く続いた宗教戦争の末に考えられた考えであり、「ウエストファリア体制」とよばれる国際秩序の中で形成された。F.H.ヒンズレーの説明によれば以下のようなものである「主権という、用語は、元来そして長らく政治共同体においては最終的および絶対的権威が存在するという考え方を表してきた。・・・そしてそのほかどの場所にも最終的および絶対的権威は存在しないということである」また、J.ボダンは「国家における被治者に対する、最高にして絶対的かつ永続的な権力」つまり、一つの正統化への論理なのであり、国家において最終決断を下す究極権力がなくてはならないという思想を表現している。これはT.ホッブズにおける、専制的秩序か、それとも無政府状態かという二者択一の問いへの一つの回答であり、ポリスや共和国とは違った一大支配権力機構であった。

 

 国民国家の機能としては、違う言語、民族、宗教、文化といった相違を越えて(ないものとする)、擬制の共同体、国家的同質性を保証する「想像の共同体」を意味した。ナショナリズムの概念も多種多用な概念を内包しているが、A.D.スミスの類型定義によれば、基本的に民族的同質性を強調する「エスニック(民族型)・ナショナリズム」と国民的枠組みを強調する「シヴィック(市民的)ナショナリズム」の二つにのカテゴリーに分類される。P.アルターによれば「ナショナリズムは−国民と主権国家の双方に決定的な内在的価値を認めるイデオロギーおよび、政治的運動として理解されるであろう。それはまた、人民ないし人民のかなりの部分をなんとかして動員しようと試みる。それゆえにナショナリズムは、希望、情緒、行動を生み出すことが可能なきわめて動態的な原理として理解できる」という。動員的な原理がいい方向に向かうか、悪い方向に向かうのかという議論があるか、ただ世論が端的に悪魔的なイデオロギーとして語るのはかなり乱暴な議論であることはまちがいない。たしかに、近代の政治史は「解放的ナショナリズム」として開始されたが、歴史的変化に応じてすぐさま「帝国主義ナショナリズム」に変容していく、歴史的事例に満ちている。偉大な民主主義革命とよばれるフランス革命も、絶対君主に変わって立ち上がった人民もまた、法の違反者や「敵」に対して残忍であった。ナショナル・デモクラシーが内政に対して排外的になり、外部に植民地支配を追求してきた歴史と我々は向き合わなければならない。

 

 

 

⑵近代市民革命と自由主義

 C.ムフとE.ラクラウによれば、フランス革命とそれまでの政治には真に断絶があるという。1「人民の同意」という新しい正当性の導入、2自由と平等のに原理からなる民主主義革命の起源、3政治世界における新しい民主主義政治文化の創出、4社会秩序の根拠を神の意志や神慮に見出してきた「神学的=政治的論理」の破錠、5有機的一体性を備えた社会の喪失、6「確実性の指標が消失した、民主主義社会」(C.ルフォール)の登場などである(C.ムフ、E.ラクラウ『ポストマルクス主義と政治』)

 民主主義の誕生は象徴的秩序の変換を意味しており、旧体制の君主制の象徴的秩序とは本質的に異質な新たな象徴的な秩序を生み出したとされる。つまり、フランス革命の機能の歴史的な機能の一つは「世俗的な神の代理人」あるいは「地上における神の写し(象)」たる君主に主権的権力を賦与「神学的=政治的基礎づけ」を解体させたことにある。権力の座は「空虚な場所」となり、真空化してしまったその座に、形式的合理主義=近代民主主義(立憲主義、代議制、官僚制)の支配のメカニズムが確立した。こうした、民主主義は神のような「確実性を消失」し、「非確実性」において如実にしめされる。日確実性は全体主義の温床としても評価されるが、むしろ積極的に評価する見方もある。ルフォールはこうした特徴をもつ民主主義を「先例のない歴史的冒険」として理解した。

 

 他方ムフやフィレのアプローチとはことなる近代民主主義の源流に関する探索もなされてきた。それは17世紀のイングランド革命、イングランドのピューリタリズムに近代民主主義の源流を求めるアプローチである。

 A.Dリンゼイによれば、フランス型の民主主義が、啓蒙的であったり、反宗教的な民主主義の役割を強調するのに対して、イングランド型はプロテスタント的人間観、良心の自由と不可侵性、共同思考や討議の精神、さらにピューリタン集会(コングリゲーション)を一つの原型とした自発的共同社会と、宗教思想としてのピューリタニズムの役割を強調することになる。そこには以下4つの特徴がある。

 ⑴古代ギリシャのパレーシア(自由言論)に基礎づけられた、討議デモクラシーを引き継いだのは、むしろイングランド革命が関わっている。今日では、共同思考や「集いの意識」、言論、コミュニケーションがデモクラシーの論理とその実質的核心をもつことは明らかである。

 ⑵ピューリタリズムが近代民主主義に賦与したものは、キリスト教的な万人の人格的尊厳の承認とそれに裏打ちされた自由と平等の概念であった。

 ⑶デモクラシーが政治的な統治の理念である前に、基本的に社会の理論であるといいうことに明晰に主張した点。デモクラシーの母体を、リンゼイは非政治的な母体に見ている。国家に対する社会的存在論的優位性を前提としている。

 ⑷「自発的共同社会」を基盤とした民主主義社会の先取りした事実。この関連では、ピューリタン革命期前夜に登場したピューリタン集会こそ、誓約国家集団としての自発的共同社会の原型として認識されている。これはミクロなデモクラシーの学校でもあった。

 

 代議制民主主義について様々な批判が当てられてきた。例えば、J.−J.ルソーは、「イギリス人が自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民んは奴隷となり、無に帰してしまう」(『社会契約論』3章)との有名な言葉がある。

 公的的な意味での、代議制の特徴は以下のようなものである。E.カネッティ『権力と群像』において、相互の殺戮を断念して戦闘において頭を叩き割る行為の代わりに、投票による頭数を数える合理的方式(投票制)が生み出されたという。E.バークの古典的定式化によれば、自分の選曲の「委任」ないし、命令に従う「代理人」ではなく、政治的な判断をなすところの「代表」(representative)つまり、国民の「一般的理性に由来する共通善」を追求する代表に他ならないとした。

 J.Aシュンペーターは「エリート主義的な民主主義」を模索する。彼は、古典的な自己統治(古典的な民主主義)は存在できないという、点から出発する。彼は民主主義を政治的ー立法及び行政的ー決定に到達するための制度的装置だと定義した(『資本主義・社会主義・民主主義)。彼の理論の強みは現実にそれが機能している点であるが、そこで語られる民主主義の政治的役割は選挙を通じて支配権力行使を正当性するにすぎない。選挙を通じた「競合的な選挙政治」は手段であって、どのような政治を目指すのかという目的ではない。

 

 

⑶主権国家システム、デモクラシー、政治経済体制

 アテナイ直接民主制からはじまったデモクラシーの歴史的旅路は2000年後には主権的国民国家という形態をとるに至った。しかし、このデモクラシーの枠組みが、今や、国民国家の枠組みを超えつつあるのではないかという指摘がある。IT技術の発展、国境を越えた経済の発展、または、少数民族エスニック集団の自己主張やアイデンティティー承認の要求など、種々の動きが多面的に影響し合っている。近代国家の枠組みの中で締め付けられてきた、エスニシティー、宗教、言語、文化の相違承認が、多文化主義アイデンティティーの政治の元に、国民のカテゴリーに親和性を持たず強く要求するのである。「越境する民主主義」は、決して一枚岩ではなく、国境を越えて活動するNGONPOの働き、多種多様な少数民族の連帯など、「希望の連合」である。ここで語られているグローバル・デモクラシーのヴィジョンは決してリヴァイアサン世界国家ー巨大な支配権力を独占する、集権型世界国家ではない。巨大主権システムではなく、一種の「脱主権的政治」の可能性をしめしている。

 民主主義と資本主義の親和性について、多くの意見は肯定的である。これに対してR.ダーレンドルフは資本主義が必ずしも政治的民主主義に直結せず、むしろ第二次対戦前と戦中のドイツと近代日本の例をあげ、結果的に権威主義的政治に行き着く可能性を示している。R.ミリバンドは「資本主義的民主主義」の矛盾を指摘し、資本主義は少数のエリートの存在を必然的に前提にする制度であるのに対して、民主主義はそういった寡占政を承認することができず、寧ろ諸条件の平等を要求する。つまり資本主義文明は必然的に民主主義の制限を要求する。S.S.ウォリンは現在の政治経済制度が、第一に政治経済体制(the pplitical economy)が来ており、第二に民衆の政治体(pepole’s body politics)がきていることを指摘している。特に日本のようにデモクラシーの歴史の浅い国家にとって、政治は国家規模のシステムの政治=「家政(house-keeping)」の仕事へと変質していき、もともとのデモクラシーのコンセプトである共存共生のための「公的領域」を構成していく共同行為の営は地に落ちてしまうのではないかと著者は指摘する。