読書メモ《バーナード・クリック『デモクラシー』岩波書店 2002年》byあき

 デモクラシーとは魔法の言葉である。それがどのような意味を持つのか本当に多種多様な言葉がある。①統治原理としてのデモクラシー、②制度としてのデモクラシー、③行動のタイプとしてのデモクラシーが存在する。
 
 投票による統治が民主主義的なのだとしたら、ヴァイキングの投票による船長選びも民主的であり、修道委員長もまた選挙によって選ばれている。
 
 他にも、(独裁的)だと言われた各国の首相や大統領も自ら自分たちのことを民主的だと民主主義の「体裁を飾り立てた」。エジプトのナゼルは「大統領デモクラシー」と言ったし、パキスタンのアユーブ・カーンは「根本的デモクラシー」と呼んだ。他にも、スカルノは「誘導的デモクラシー」ソビエトや中国も自らのことを「人民的デモクラシー」であると大真面目に語った。トゥクビルはアメリカについて「平等のデモクラシー」を考えたが、一方でアンドリュー・カーネギーは資本主義の中で競争し合う「勝ちほこるデモクラシー」を正当化した。「真の意味」でのデモクラシーとは、どういう意味でデモクラシーなのか「限定が必要」なのである。
 
 古代ギリシャのデモクラシーは《FACE to FACE》のデモクラシーであった。ペリクレスの演説の中で「私たちは政治に関心を持たない者のことを自分のことで頭がいっぱいになってるとは言わない。そういうものはここアテナイでは役立たずだ、と言う。・・・最悪なのは、行動の帰結について適切な議論が尽くされる前に、やみくもに行動へと突き進むことだ。」(『戦史』2巻 37P)と語っている。この言葉は正しいが、考えなければいけないのは、紛れもなくペリクレスはある意味、扇動政治家(デマゴーグ)であり、圧倒的なリーダーシップやポピュリズム的であった。しかしながら、民衆が民主的な風土やカルチャーを持っていたため、そこに寄り添っても、独裁国家にはならなかったのである。
 
 アリストテレスは全面的にデモクラシーを支持したわけではない。「すべての人は平等に扱われるべきである」という目的を達成するために、条件付でデモクラシーを支持した。そして、その理念のない「単なるデモクラシー」に対してい懸念を抱いていた。また、アリストテレスはどのような政治体制であっても腐敗形態と理想形態があるはずだと考えていた。プラントンが思い描く、哲人王ではなく、教育と経験の一体化によって可能になる一種の実際的知恵の持ち主が必要となのである。
 
 プラトンのポリスに対する懸念はペリクレスが、民主的独裁者であったことの矛盾をついている。「ポリスが一体性へとむかってますます前進するにつれて、やがてポリスはポリスではなくなるような点が一点存在する。・・・それはあたかも和音が単なる同音に転じ、主旋律がたんなる一拍に平板化することである。本当のところポリスとは大在の構成員からなる集合体のことなのに。(『国家』)」
 
 君主制とは豪華な見た目の、氷山に当たれば二度と起き上がれないタイタニックであり、対してデモクラシーとは沈むことはないが常に足元が水に浸かっている筏である。byフィチャー・エイムズ