映画「光のノスタルジア」(2010)by.かりん
ドキュメンタリー映画
『光のノスタルジア』(パトリシオ・グスマン、2010、フランス・チリ・スペイン)
砂漠の星と骨
悲劇には必ず、加害者と被害者と、激しい悲しみと怒りが遺される。それらは事件が終わっても、この世界に存在し続ける。
でも、むごたらしい悲惨な過去なんて、誰も思い出したくない。なぜなら私たちはこれからも生きていかなくてはならないからだ。問題が解決しても、しなくても、毎日はやってくる。被害者も加害者も、同じ世界で暮らし続けていくしかない。だったら、言っても仕方ないことはもう忘れて、前向きに生きていくために、過去を編集した方が、合理的じゃないか。
だから、チリのピノチェト政権は、拷問し殺害した人々の遺体を、誰にも見つからない場所に遺棄した。
遺体の場所を明かせと求める遺族に対し、国民の視線は冷たい。もし、遺体が掘り返され加害者の犯罪が明るみに出れば、このメッキの調和はいとも簡単に剥がれ落ちてしまうからだ。
映画に登場する歴史学者は「酷いことに、もっとも近い過去が闇に隠されているのです」と言う。
グスマン監督は、チリの過去を遥かな星の眼差しで見つめる。そのことによって、誰もが直視することを恐れる何層にも重ねられた虐殺の歴史に近づこうとする。
クーデター後に生まれた若き天文学者はこう語る。「天文学者は過去を見つめ、そこから多くを学ぶ。過去を考えることになれている。それが天文学者の人生だ」。
チリのアタカマ砂漠には、世界中の天文学者と考古学者が集う。何百万年も前に放たれた星の光、先コロンブス時代の先住民族の壁画……、この乾燥しきった砂漠は、もっとも過去に手が届きやすい。
そして砂漠は、虐殺された人々のミイラや骨も保存している。命の起源を求め、銀河を捜索する天文学者の傍で、女たちが、「失踪」した愛する人の、死の証拠を求めて砂漠を歩き回っている。女たちは、腰を伸ばしながら言う。「天体望遠鏡で地上を見渡せればいいのに」。
若い天文学者は皺の目立ち始めた彼女たちに、望遠鏡で星を見せる。人間の骨を形成しているカルシウムは、星々で発見されるカルシウムと同じだ。
命を見る。生命とは何かを見る。するとそこには、暴力の歴史の中で殺されてきた命が見える。それを見ないでいられようか。むごく救いもなく見るに堪えないとしても。自分を信じられなくなっても。星を見るように見たら良いのだ。天文学者の目になって身近な過去に向き合えないのか? そんな問い掛けをしている作品だ。
日本にも、忘れたい過去がある。私の隣で、過去を探す人たちがいる。私たちが、その人たちと共に、望遠鏡を覗き込む日はいつだろう。
(2015.10.10日本公開)
interview with Ana Tijoux - ラテン・ヒップホップの逆襲 | チリの女性MC、アナ・ティジュ、インタヴュー |
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