安倍政権に抵抗するポスト311世代の若者グループとインターネット ――学生集団SEALDsの事例から――

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安倍政権に抵抗するポスト
311世代の若者グループとインターネット

――学生集団SEALDsの事例から――

Protest Against the Abe Government by A Youth Group from Post 311 Generation: A Case from SEALDs, A Students Protest Group

田村貴紀1,富永京子2

Takanori TAMURA and Kyoko TOMINAGA

 

1法政大学                    Hosei University

2立命館大学     Ritsumeikan University

 

 

   Abstract   This presentation explores the use of the Internet by a youth protest group, SEALDs (Students Emergency Action for Liberal Democracy), who is against policies of the Abe government. They are post 311 generation who have commonly experienced 3.11 disasters when they were 14 to 18 years old.  After long absence of wide ranged protest actions by students, SEALDs has come to the fore and involved many young assenters to their actions. We analyses their strategies with the Internet and motivation through participation observation and interviews.

 

 

   キーワード ポスト311世代, 社会運動,立憲主義,安保法制,インターネット利用

 

 

1.はじめに

 特定秘密保護法や安保法制など,安倍政権が既に制定し元国会に提出している法案群について,抗議の声を上げているSEALDsStudents Emergency Action for Liberal Democracy:自由で民主的な日本を守るための,学生による緊急アクション)という若者の集団が注目を浴びている。SEALDs安倍政権による安保法制立案を契機として発足した。「担い手は10代から20代前半の若い世代」の若者集団であり,そのウェブサイトによれば「戦後70年でつくりあげられてきた,この国の自由と民主主義の伝統を尊重し現在,危機に瀕している日本国憲法を守るために,私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野」で活動すると宣言している

 国会前で毎週金曜日にSEALDsが主催する抗議集会では,衆議院憲法審査会で安保法制に違憲見解を示した憲法学者小林節がスピーチし話題を呼んだ。また同様に主催した渋谷での反安保法制街宣活動(2015629日渋谷)には,民主,共産,維新,生活,社民等ほとんどの野党から国会議員が参加し,共産と維新が手をつないで反安保法制をアピールするという異例の事態となり大きく報道された。

 本発表は,SEALDsの活動とそのインターネット利用についての試論である。SEALDs は,その活発なインターネット利用と卓越した戦略的プレゼンテーションが特徴的であり,ネット上にSEALDsをめぐる賞賛と批判も生じている。これを考察することには学術的利益がある。著者らはSEALDsに関する参与観察,聞き取り調査を進めており,その知見に基づいて発表する。しかし,SEALDsは前身であるSASPL時代(サスプル:Students Against Secret Protection Law特定秘密保護法に反対する学生有志の会)を含めれば,20142月から活動しているものの,SEALDsとしての発足は20155月であり,また原稿執筆時点で安保法制に関する国会審議が進行中である。従って,現時点では結論的な記述をするには尚早ではあるが,仮説を立案し,新規なイシューについて学会でディスカッションするために発表を行う。

 インターネットは現在の社会運動に深く関わっているが,その背景には,社会運動における組織と個人のあり方の変化がある。その理由の1つには,社会運動が組織や団体を中心としたものから,個人を中心とするものへと変化したことがある。日本においては,1960-1970年代の安保闘争時代からその傾向が指摘され,ベトナム戦争に反対したベ平連運動もそこに位置づけることができる(市橋, 2014; 道場, 2006)道場が述べたように,「日本社会党,日本共産党,民社党などの政党や労働組合ナショナルセンターを中心に置き,これらと連携しながら社会運動を展開する各種の大衆団体,といった社会運動における「大艦隊」のイメージは,個々の市民が自発的かつ自立的に問題に取り組む「市民運動」によって相対化され,両者の連携は必然的なものではなく,課題に応じたアド・ホックなものと再定義されること」になったのである(道場, 2006, p. 57)Japsperによれば,欧米における社会運動について,労働運動が主体であった時代には組織の境界がはっきりしていて,時に組織同士の利益が相反していた。しかしその後の社会運動は,より構成員が流動的になった。ヨーロッパでは,70年代のフェミニスト運動,環境運動,反核運動が合流して,80年代の軍縮運動につながったのである。(Jasper, 1999, p. 7)

 このような社会運動構成員の個人化と流動化の中で,情報伝達手段,リクルートの手段として,インターネットは有効であり,そこで議論も進行していく。五野井はこれを「社会運動のクラウド化」と呼んだ(五野井, 2012, p. 15)Slater et al.が述べるように3.11以後の日本の社会運動においても,このクラウド化は顕著である(Slater, Nishimura, & Kindstrand, 2012)。インターネット利用は情報伝達に有効であり,国境を超えて即時的に事実を世界に伝え(Lotan et al., 2011),人々の社会運動への参加の方法を変えた(Bennett, 2012)。日本においても官僚的構造がなく,組織的なアジェンダを要求しない,シングル・イシュー・ポリティクスの開かれた社会運動のあり方が興隆し,これと親和性の高いインターネットがあいまって人々の参加を促した。これは東アジア諸国においても同様であるとWonは述べる(Won, 2015)

 日本の社会運動やNGOは,早期からインターネット利用ししてきたが,90年代においては普及率が低く,社会運動との関連を考察するには不十分な状態であった。しかし2013年の段階ではインターネットの普及率は総務省の統計で82.8%に及び,社会運動のインターネット利用は現実的な段階になった。とはいえ,311後の社会運動の経験から見ると,インターネットの普及と社会問題への参加は必ずしも正相関ではない。運動体はインターネット以外のメディアの可能性を求めて雑誌の発行,マスメディアの取材対応等を行っている(小熊 , 2013, p. 322)

 他方で,社会運動の個人化と参加者の流動化が進んだということは,参加者がそれぞれのライフスタイルや感覚に合った運動携帯を選択していくことを意味する。その運動の主張内容のみではなく,社会運動のレパートリーや,プレゼンテーションの方法も大きな問題となってくる。Davisが言うように,社会運動への参加と言うリスクを伴う行為を行うためには,趣旨に賛同するという以上の何かが必要なのである。参加する,巻き込まれることは,論理的で目的遂行的なだけではなく,イマジネーションや直感,そして感情が絡んだことである(Davis, 2002, pp. 16–24)それは当事者性の感覚であったり,他の参加者とのなじみやすさや人間関係であったり(富永, 2013),構成員の世代であったり,ときにはその場に流れる音楽や(野間, 2012, pp. 61–64)シュプレヒコールのリズムやトーンである。デモや抗議を組織するものは,運動をどうプレゼンテーションするかということが大きな課題になる。90年代の郵便主流の時代から,通信メディアを使った社会運動の動員についての研究が行われている(Pamela & Marwell, 1992)。社会運動における動員は経済活動ではないが,比喩的にいえば一種のマーケティングなのである。

 このような状況の中でこれまでは,体験的な観察ではあるが,デモや抗議集会の参加者は40代から60代が多く社会運動への若者の参加が目立たないと評されてきた(日経新聞, 2011)。高齢化社会であるし,安保闘争時代の60歳代や反イラク戦争抗議を経験した可能性がある40歳代の社会運動への参加はそのモチベーションを推測することも可能である。しかし,図1に示すように,高齢化社会ではあるが,インターネットによって到達可能な10-20歳代の人口の割合は,50-60歳代と同等であり,それにも関わらず若年層の参加率は低いと考えられてきた。その状況でSEALDsが若年層を動かしたことは,驚きを持って迎えられた。それはどう可能であったか,考察する価値がある。

 

 

1世代別インターネットユーザーの絶対数 2013

 

2.SEALDsの活動の特徴とインターネット

(1)プレゼンテーション戦略

 SASPL時代から,デモ,抗議集会を主催してきたが,フライヤーのデザイン,告知動画が完成度が高く優れていることが特徴である。若者世代には,デザインが重要であることを深く認識しているのである。告知動画を時にCMと呼ぶことがあるのは,参加者マーケティングを意識していることを意味するし,その事自体がに特に違和感を持っていないことを示している。共産主義的なイデオロギーに主導された社会運動とは異質なのである。

 デモを構成するときにも,先頭に若者を配置し,ヴィジュアルをコントロールしている(図2)。つまり,報道される際の絵作りを意識したデモを行うのである。YoutubeSNSを使ってこれらの動画や写真,フライヤーを拡散することはSEALDsの基本戦略である。311以後の反原発運動,特に首都圏反原発連合(反原連)の抗議活動には,コアメンバーMisao Redwolfをはじめ,多くのイラストレーター,デザイナーが関わっており,プレゼンテーションを重視した活動は,反原連に限らず広範に取り入れられた戦略である。SEALDsはそれらの集団とは全く独立しているが,シングル・イシュー・ポリティクスなどのレパートリーを含め,間接的に戦略を継承していると言える。

 これらのプレゼンテーションは,第一に同世代の若者の参加を喚起するためであり,そして,若者がデモを行っていることを社会に主張するためである。メンバーの奥田愛基は「若者はなぜ声をあげないのかって言われ続けることにウンザリ」していたと述べる。そしてデモをやろうかと友人と話した時に,「デモはダサい」と反対され,それならばかっこいいデモをやろうと考えた(中村, 2014)。

 

 

2 SEALDs安保法制反対渋谷デモ 2015614日 (撮影:矢部 真太)

 

(2)3.11後を生きる

 前述したようにSEALDsが発信するフライヤーや動画,またウェブや新聞報道で見かける彼らを写した写真は,どれも若さが輝いていると言う表現がぴったりである。青春を謳歌し,実生活が充実していることを物語っているように見える。それは「デモをかっこよく」というSEALDsの戦略の結実でもある。

 しかしその生の輝きの意味を考える必要がある。SEALDsのメンバーは概ね18歳から22歳前後である。すなわち彼らは,14歳から18歳という人格形成期に,東日本大震災を経験したことになる。聞き取りを進めていくと,その刻印を見いだすことができる。メンバーの奥田愛基は,311震災後1本の動画を作っている。タイトルは『生きる312』。312とは311後の世界を比喩的に表現した言葉である。甚大な被害を生じた大震災の後も,生き延びた人々は生き続ける。それは一体どんな生なのか。UFPFF 国際平和映像祭グランプリ,地球の歩き方賞をとったその動画で,奥田はそれを問うている。彼は,様々な人物を取り上げて311後の日本の状況を描いた。動画の最終部分で,奥田は岩手で津波を生き延びた少年ショウに,生きるとは何かを尋ねている。

 

「ショウにとって生きるって?」

「朝起きたときじゃないかなぁ。なんか,今日も生きてるって感じる。311日そういう気がしなかったから。今日生きてるなってそんな気しなかったから。」

 

 

 311の後全てが終わってしまったような感覚の中で,当時19歳だった奥田はもう一度『312』の世界を生きることを選び取る。また参加者の一人である18歳の女性は,15歳の時にわざわざ静岡から出かけて,2012629日の首都圏反原発連合の主催する官邸前抗議に参加し,人々が道路に溢れ出る決壊と呼ばれる状態を目の当たりにする。さらにデモや抗議集会でしばしばマイクを握る学生でラッパーの牛田悦正は,311後の感覚について,インタビューに答えてこう答えている。

 

 80年代的なポストモダンの「終わる終わる」と言うのはノスタルジックなところもあって,実は終わりたくないっていうか,絶望がそんなに行き過ぎてない。「終わる終わる」と言ってたけど,内心は実は終わってないっていうか,でも完全に俺らの世代だと終わっちゃったところから出てきたから,俺らの方が終わり感が強くて,完全に終わってしまって何かが始まると(思っている)。

 

 東日本大震災は甚大な被害をもたらした自然災害であったが,同時に,すでに存在していた日本社会の様々な問題,すなわち原発,経済,労働,福祉,高齢化などが露呈した契機でもあった。「終わってしまった感」から人生が始まったとも言える彼らにとって幸福とは,それでも「なんか,今日も生きてるって感じ」なのである。SEALDsのすべてのメンバーが「24時間政治の話をしてるやつらばかりじゃない」けれど,「でもスピーチしているのを聞くと,なんかわかってると思う」と奥田。SEALDsの運動は,ポスト311世代の運動だと言えるであろう。センスやデザイン,同年代であるという共通項だけでなくポスト311世代としての生活感覚と危機感の共有が,若者世代を呼び寄せる。奥田は無関心層という言葉を嫌う。

 

俺がイベント行くときに,友達が無関心層とか言われたら嫌だから。何かしら生活に必死で,何かしら関心みんな持ってますよ。それが政治とかの言葉じゃないだけで

 

ある時代特殊的な経験をしたコーホートだという感覚が,同世代の若者に届く言葉を紡ぎだす。更にそのスタイルと戦略は,インターネットを通じて,口コミによってパッケージ化されて伝えられていく。東京で始まったSEALDsの運動から,SEALDs KANSAIが派生していく。そしてSEALDs KANSAIが京都・円山公園発で実施したデモの話を聞きつけた札幌の19歳の女性が,札幌の円山公園だと思い参加しようとしたが,京都なので断念し,9日間の準備で自分たちでデモを実施した。このような運動のパッケージ化と拡散は,反原発運動にも起こった。インターネット時代の社会運動の特徴というべきものである。

ポスト311世代の運動の特徴は,終わったところから始めるという不思議な新しさと力強さでもある。奥田は言う。「ある政治哲学者に,君たちでやってることって,結構戦後感があるよねと言われた。そう言われてみると,デモのスピーチの中でも丸山真男やジョン・ダワーを引用してることが多い。」奥田は,特定秘密保護法が可決された時,あるニュースキャスターが言った言葉にこだわる。「今日,日本の民主主義はお終わりました。」彼は答える。

 

終わったんなら,始めるしかないじゃん(東京新聞, 2014)

 

 

奥田は社会学古市憲寿の著書にかけて言う。「僕らは,絶望の国の幸福な〈闘う〉若者たち」なんです。」だからこそ,明るく,若々しく,強いメッセージを発し続ける。それは弱者の嘆願ではなく,被害者の訴えではなく,主権者から施政者への命令である。SEALDs戦後民主主義を再活性化しようとするのである。

(3)個として集まる自立分散共振型行動

SEALDsの運動のもう一つの特徴は,その徹底した個人主義である。彼らは,デモの中で個人に解体されることを目指す。スピーチをするときに,必ずと言っていいほど自分の所属と本名を名乗り,「私は特定秘密保護法に反対します」「私は安保法制に反対します」と,我々ではなく私を主語として宣言する。それは,集団を代表するものではなく,誰かを代弁するものでは無く,自分のために,自分が主張するのである。SASPL時代のウェブサイトにはこうある

 

様々なバックグラウンドを持つ「個人」としてデモに参加し,声を上げることを重視します。

他方で「私たちは個人としてアクションを起こす」ということは,言い換えれば,デモを通じて「個人」として解体される,ということにもなります。私たちが様々なバックグラウンドを持つということは私たちがある種共通の経験の下に生きていることを意味し,それ故に私たちは決して独立した個人とはなれず,絶えず誰かとどこかでつながっています。その意味で「個人」はフィクションに過ぎませんが,私たちはむしろ,政治的決定を行う「個人」への志向としてアクションを起こしています。

 

牛田はシモーヌ・ヴェーユを引用して,集団を志向することを拒む。またヴェーユが思考は1人でするものだと言ったことに深く共感している。

 

ヴェーユは,権力に対して戦うときに,集団になってしまった瞬間から権力者が持っていた悪いものをそのまま再生産することになる,というのです。

 

 

社会運動における組織と個人と言う問題考えると,これは特徴的な現象であると言えよう。前述のように,求心力を志向する組織的社会運動の後に,社会運動は個人化,流動化していった。311以降の社会運動でよく聞かれた言葉は,「頭数になる」であった。これは,組織行動に比べればはるかにゆるい求心力の中で,自分のもつ様々な主張,イシューを表面化させず,ひとつのイシューについて集団として意思表明する政治的な効果に,積極的な意味を見出すことであった。SEALDsは前述したように,「それ故に私たちは決して独立した個人とはなれず,絶えず誰かとどこかでつながっています」と述べ,普段の生活における「つながりの求心力」を警戒する。この点から権力に対峙する個人のあり方は,再び,他の誰かを代弁するのではない「主権者」でしかありえない。そしてSEALDsはそれぞれが個人でありながら集まって行動することを志向する。そうでありながら奥田は,バラバラだけど一つになれる時があるという。

 

奥田:(デモで)スピーチしている時にわ~ってなってる時ってそいつも周りも個人超えちゃってる。個人から出てる言葉なんだけど,聞いてる方も,俺がゆってるみたいな。本当に良いスピーチってそういう感覚がある。

牛田:そう,「それは俺がゆってるんだ。」Youtubeでみるキング牧師のスピーチもコールアンドレスポンスになっていく。

奥田:あれは俺の言葉だって,感じ。

牛田:二つがひとつになるみたいな。

 

 

この志向性と共振感覚は前述のように同世代に共有され,個人でありながら集まって行動するアクションを広げていく。このような自立分散共振型とでもいうべき行動形態にとって,インターネットを利用することは必須の事になり,そこで行われる議論は,重要な役割を果たすことになる。

 

(4)SEALDsをめぐる賞賛と批判

SEALDsのインターネット利用は,それ自体が持つ影響力を生み出すと同時に,SEALDsのプレゼンテーションやテキストを巡って,第三者同士の肯定的否定的意見があり,論争が行われ始めている。しかし,前述のようにSEALDsは発足後日も浅く,計量テキスト分析や社会ネットワーク分析は今後の課題とし,準備として現状の概観を述べたい。

SEALDsが行っているプレゼンテーションに対しては,賞賛する場合も,非難する発言も,SEALDsの提起する価値に対して,即応する形で発言が行われている。1つの価値を提示すると言う事は,当然ながらその価値の裏側を解釈する可能性を含む。つまりSEALDsの提示する,明るさ,若さ,デザインセンスなどに関して,それを受け入れ賞賛する声と,それを根拠として非難する声とがある。つまり,笑顔や明るい振る舞いに対しては「真剣味に欠ける」「怒りがない」という批判,実生活が充実した感じ(リア充性)に対しては嫉妬,若さに対しては,未熟者扱い,デザインセンスに対しては,「商業的専門家集団が背景にある」など能力への疑問,という形で表される。いずれも,1つの提出された価値に即応した評価であり,SEALDsのプレゼンテーションが成功している証左とも言える。

一方で著者らが別稿で考察した反原発運動に関する「アジェンダ設定権」をめぐる議論は比較的少ないと感じている。「アジェンダ設定権」をめぐる議論とは,例えば「反原発を主張しているが被爆者救済について強調していないのは間違った反原発運動だ」というような「あなたはこれををしていない申し立て」や,「反原発抗議に日の丸を持参することを制限しないのは,帝国主義に加担するものだ」という「行為の読み替え申し立て」である(Tominaga & Tamura, 2015)

他方,SEALDsの影響力が拡大するにつれて,本来あまり影響力持たないアクターのSEALDsを批判するテキストが第三者同士の論争を呼び,エコー現象的に影響力を拡大するという,反原発運動でも頻繁に見られた事例は起きている。

 

まとめ

本発表では,安倍政権の政策に反対する学生を中心とする若者集団SEALDsの活動とインターネット利用について分析した。近年の社会運動に置いて若者の参加が目立たないということが指摘されてきたが,その若者層にアピールしていたという点でまず特筆すべき運動である。

彼らの活動は,組織論的には,構成員が組織に縛られず,参加する活動が流動的になって来たという安保闘争以来の長期的な傾向の中に位置づけられる。近年ではこれらの活動においては,制度的組織や施設,固定化した構成員の連絡組織に代わるものとしてインターネットが利用され「社会運動のクラウド化」と呼ばれている。SEALDsは,組織や資金を持たない無党派の学生集団として,インターネットを自分たちの運動の戦略的プレゼンテーションと参加者のリクルートに効果的に使っている。また311以降の反原発運動などの社会運動以上に,参加者の個人的独立性が強調された自立分散共振型運動であり,それらの点で社会運動のクラウド化の1つの典型例と言える。他方で国会議員や学者集団との連携,マスコミへのアピールを行い,その結果を再びインターネット上に表現する対面・マスコミ・ネット循環戦略をとっている。同時に,SEALDsの運動は311以降の反原発運動・反差別運動などの社会運動とは全く独立した運動であるが,運動のレパートリー,プレゼンテーションのセンス,運動の全国拡散の様相等において,従来の運動のエッセンスを継承しているものである。

若者にアピールした理由として,若者を前面に押し出しした絵作りと,スタイリッシュなデザインが挙げられるけれど,さらに重要なのは,14歳から18歳前後という人格形成期に東日本大震災を経験したという共通性によるコーホート感覚である。彼らが提示する若さと生の充実感は,感受性の強い時期にあの震災を経験した後の,それでも「なんか,今日も生きてるって感じる」感覚に由来する再出発のメッセージである。それを共有するからこそ,バラバラの個人の集まりを目指しながら,「あれは俺の言葉だって,感じ」(奥田)という共振感覚を生む。

SEALDsをめぐるインターネット上での議論を概観すると,SEALDsが行っているプレゼンテーションに対しては,賞賛する場合も,非難する発言も,SEALDsの提起する価値に対して,即応する形で発言が行われていた。一方で著者らが別稿で考察した反原発運動に関する「アジェンダ設定権」をめぐる議論は比較的少ない。SEALDsの影響力が拡大するにつれて,本来あまり影響力持たないアクターのSEALDsを批判するテキストが第三者同士の論争を呼び,エコー現象的に影響力を拡大するという現象はあった。これらを計量テキスト分析などを使って分析することは今後の課題である。

 

文献

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